除毛クリーム派のみんな、裏切ってごめん!

 

私は今までムダ毛処理と言えば『除毛クリーム』を愛用していたし、過去にはオススメの除毛クリームを発表したこともある。

 

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全て自分で購入して使った感想だし、嘘偽りがないことは誓えるのだけど、つ、つ、ついに(?)脱毛器に手を出してしまった。(いや、もちろん除毛クリーム派の人は上の記事が参考になればすっごく嬉しい。)

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アイリスオーヤマから出ている【光脱毛器エピレタ】 という商品なんだけれど、「ムダ毛処理ってどうしてますか~?」ってネットのトピックスで『安いから期待せずに買ったんだけど、すっごい良かった』って口コミを目撃した時からずっと気になっていた。

 

脱毛器って6万円ぐらいするし、オススメとしてよく名前が挙がる【ケノン】 に至っては9万円を超えてくる。

 

そう。私の中で脱毛器購入の大きな壁は値段だった。

 

アイリスオーヤマ【光脱毛器エピレタ】 は定価が3万円ともともと脱毛器としては高くないのだけど、公式サイトを見ると1万2000円台まで安くなっていた。少し前に出た商品だから叩き売りゾーンに入っているのかもしれない。

 

除毛クリームは1本3000円ぐらいするから、たったの4本分。

そう考えると、脱毛器は半永久的に使えるし、抑毛効果も期待できるし、こっち(脱毛器)の方がお得やん!とコロッと心動かされ購入に至ったのである。

 

それから10万円の給付が貰える事も背中を押してくれた。

例年の夏は除毛クリームで処理した脇や脚を晒していたけれど、今年からは脱毛器でムダ毛を処理した肌を晒そうと、我が家には未だ10万円が届く気配すらしないが、夏に間に合わせるために一足先に手に入れたのである。

 

パワーが5段階あるのだけど、レベル1は全然大丈夫だった。バッと強いレベルに上げたくなるのだけど、念のため徐々にレベルを上げていく予定。早く毛根をやっつけたい。

 

そんなわけで除毛クリーム派のみなさん、私は除毛クリームを卒業です。裏切ってごめんね!

 

♦公式ページ⇒光脱毛器エピレタ(epilata)/アイリスオーヤマ公式通販

 

お洒落になりたいと言うがそもそもオシャレな服を着ているのか問題

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私は自身の雑誌の活用方法が間違っていたんじゃないか。

雨宮まみさんのエッセイを読んでそんなことをふと思った。

女の子よ銃を取れ【電子書籍】[ 雨宮まみ ]

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無難でパッとしないところから抜け出して、洗練された装いを手に入れるにはどうしたらいいのだろう。それはセンスがなければ、不可能なことなのだろうか。

「自分がやっても、きっと素敵だろう」と思える理想のコーディネートはないだろうか?私にはある。

けれども、長年素敵だと思ってきたそんな着こなしを本気で実現しようとしたことはなかった。

なぜかそれがとても遠いことのように思えていたし、全体で合わせるものを買い集めるお金もないと思っていた。でも、これらのアイテムはトップショップやザラ、H&Mで簡単に揃いそうなものばかりだったのだ。(P57:一部改変)

 

私は雑誌を購入すると、良いなと思ったコーディネートだけをスクラップにして残している。

切り抜きを見る度に素敵だと思うほど私にとってはオシャレな着こなしなのに、これらの着こなしをどれほど再現出来ているだろうか?と思い返してみると、全然参考に出来ておらず、そもそもこれらのコーディネートが組めるアイテムすら持っていなかったりする。

 

私は海外スナップも好きなのだけど、彼女たちの着こなしをただただ”憧れ”という場所に置き、どうすればそのコーディネートを再現できるかなんて考える努力をしてこなかった。

それこそ雨宮まみさんの言う『なぜかそれがとても遠いことのように思えていた』という表現が私の心情にピタリと当てはまる。

 

もちろん魅かれるファッションが世間一般のオシャレとは異なる人もいるだろうけれど、自分がオシャレだと思う着こなしをせずしてオシャレになる、なんてレシピを見ずに作ったことのない料理に挑戦するようなもので、どれほど無謀なことを叶えようとしていたのだろうかと思う。

 

★★★★

思えば、私が1番褒められるコーディネートは『この着こなし素敵!』と思ったコーデをマネしたものだったりする。

 

ノースリーブの黒Tシャツとカーキのタイトスカートに黒のピンヒールサンダルというコーディネートで、何の作品かは忘れたがドラマ内で水川あさみが着ていた服装だ。すごく洗練されたファッションで目が釘付けになったことを今でも思い出す。

 

自分に合う形を探したら、タイトスカートの丈は長くなったし、黒のノースリーブTシャツは黒のノースリーブニットになって、見たものをそのままマネすれば良かったわけではないけれど、このコーディネートの時は自分の服装に自信を持って過ごすことが出来ている気がする。

 

私は雑誌を見て「××は持っているから○○を買い足せばこのコーディネートがマネできそうじゃん」って買い方をすることが多かった。

 

もちろんそんな買い方で成功した時もあるし、そのコーディネートだって雑誌に載っているのだからダサイわけではないのだろうけど、『オシャレだ』と自信を持てるコーディネートになることは少なかった。

そうしてふとクローゼットを見渡すと、”私がオシャレだと思うコーディネート”に近付くことのないアイテムばかり集まっていた。

 

お洒落になりたいと思ったら、まずは自分がオシャレだと思う着こなしをピックアップすること。そしてその着こなしを再現するには、どんなアイテムが必要でどんな工夫が必要なのか、熟考することが1番の近道だったのだと思う。

 

着こなしの工夫については初期の【服を着るならこんなふうに】が勉強になると思う。最近はトレンド服のことが多くて個人的に「うーん…」って感じてしまっているのだけど、初期の内容はメンズ用ファッション本だけれど女の私もすごく参考にさせてもらっていた。

 

服を着るならこんなふうに 1 [ 縞野やえ ]

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電子書籍⇒【服を着るならこんなふうに

 

賢い人が「この勉強法が良いよ」と教えてくれれば「そりゃ良い事を聞いた」と素直にやってみようと思えるのに、どうして良いなと思える着こなしに対しては素直にやってみようと動くことが出来なかったのだろう。改めて考えると不思議でたまらない。

 

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グッバイ、グレー

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グレーのスウェットを断捨離することにした。(正しくはパジャマに降格)

 

雑誌やネットで見ると、グレーのスウェットをオシャレに着こなしている人もいるけれど、私が着ると部屋着にしかなってくれない。

 

悲しいかなグレーとの相性がすこぶる悪いみたいで、グレーって白から黒のグラデーションだからとんでもなく多い選択肢があるのに私が似合うグレーはピンポイントでしか存在しない。

だからか、自分なりに「これ!」ってグレーを買ったはずなのに、ちょっとした肌の調子の良し悪しやメイクの濃さで「あれ?」って思ってしまうことが多い。むしろ「あれ?」って思ってばっかだった。

 

『コーディネートを変えれば』とか『アクセサリーで、メイクで、髪型で…』とか、オシャレさんが見ると改善できる点ばかりなのだろうけど、「いや、そんな頑張らんでも似合う色あるし」と思うとグレーのスウェットはもうイラネー!としか考えられなくなった。

 

私の場合、白と黒の服を持っていて、じゃあ次は?ってことでグレーの服をついつい手に取ってしまいがちだった。黒は暗いしなあ、白は汚れるしなあとグレーを選びがちだった。

 

ここまで考えて【服を買うなら捨てなさい】という本で主張されていた内容を思い出す。

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私たちは、ついいろいろ理由をつけて服を買おうとしますが、おしゃれな人になるために最も大切なことは、どうでもいい服の徹底排除です。(P32)

 

似合わないと思うものには、無理に手を出さず、どんどんスルーしてください。(P52)

 

【バリエーションの呪い】という言葉を生み出した(?)有名にした(?)のはこの本だったと思うのだけど、まさに私の思考回路はこの呪いに毒されていたのだと気が付く。

 

断捨離をして呪いが解けた気がしていたのだけど、なかなか根深いし、私はポンコツだからか何度でも同じ呪いにかかる。抗体なんてできやしない。

 

『抜け感』や『こなれ感』はオシャレ初級者の私にとっては、猫にとってのマタタビみたいにぐわっと食いついてしまうワードだなあとつくづく思う。

 

オシャレに自信がないからこそ『抜け感』や『こなれ感』さえ手に入れば、何か良い感じに服を着こなせるんじゃないかとすがってしまう。まあイマイチ上手くいかないんだけど。

その証拠に『抜け感』や『こなれ感』というワードに釣られて購入した服はあんまり残っていなかったりする。

 

料理だったら、人に振る舞う程よいご馳走感(豪華すぎず手抜きすぎず)を知っている人って料理を披露する場数を踏んでいる人だと思う。

 

そう考えると服だって同じで、自分自身で何度も挑戦して失敗して、やっと張り切ってない風の見せ方を取得できるものなのかもしれない。

 

まあ『こなれ感』や『抜け感』に関してはこんな意見もあるから

昔さ、学校の芋ジャー、上履きつっかけでざっくりポニーテールでカッコいい子いたじゃん?あれだよあれ生まれ持ったもんだよ

天性のものなのかもしれないけれど。

 

何を着てもオシャレに見える『オシャレ顔』なんてものもあるらしいからね。

 

グレーのスウェットの話からだいぶ離れたところまで来てしまったが、断捨離の過程で思い出した『似合わない服をわざわざ選ぶなんて私はドMか?否!Sだ!』という合言葉を頭に深く刻んで、今後は服選びをしていけたらと思う。

 

 

幸せじゃないなら本でもお出ししましょうか?

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日本人の約半数は月に1冊も本を読まないそうだ。(『20~60代の半数、月に1冊も紙の本読まず 全国調査 :日本経済新聞』)

 

私は娯楽の1つとして本を読んでいるのだけど、ふとした一節や登場人物のセリフに心がフッと救われることがある。

精神的にどうしようもない時は、わざわざレビューを検索して自分の悩みに寄り添ってくれそうな本やエッセイを探して読んだりもする。本は心の痛み止めのような存在にもなり得るのだ。

 

まさに先日、雨宮まみの『まじめに生きるって損ですか?』というエッセイを読んで、心が軽くなったところだ。

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雨宮さんの元に送られてきた愚痴に対して、雨宮さんが否定することなく寄り添って応えてくれる。

真面目な人ならば「真面目に生きるって損じゃないか!」って何度も思ったことがあるだろうけど、今更いい加減に生きるのだって難しい。そんな前にも後ろにも進めなくなってしまった時に、考え方のヒントをくれるエッセイ本だ。

 

初読みの時は自分のモヤモヤした気持ちが晴れていくのが嬉しくて、そのままの勢いで読み終えてしまった。なので、少し落ち着いてから読み直した。

 

すると、気付いたことがある。

雨宮まみさんの考え方や生き方に、私は違う作家の小説で触れたことがあるのだ。

 

『どんなに頑張っても結果が伴わなければ努力不足と言われる。努力って何だ。上手くいった人は運や才能に恵まれただけじゃないのか』なんて愚痴には、【努力は必ず報われるわけではないこと】やご自身が作家としてやっていくために取った【努力の方向性】について語っている。

 

これと似たような考え方を本多孝好の『正義のミカタ』で読んだことがある。

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「相手の土壌なんか乗らず、自分のレールを作れば良い。正しく努力するっていうのは、そういう意味だよ」

「世の中は不公平だ。そして不公平さの最大の問題は、絶対的な不公平なんて存在しないことだ。」

 

雨宮まみさんのエッセイにあるこの考え方も

私は自分のつらさを話した時に、「地球上には飢餓で苦しんでいる人もいるのに、君の悩みは贅沢だ!」と説教されたことがありますが、自分よりもつらい例を見て「自分なんてまだまだ幸せなんだ!」と、「下を見て安心する」みたいな思考が健全だとは今でも絶対に思えません。個人のつらさは他人とは比べられません。(P25)

 

別の作家の小説で見たことがある。

それは伊坂幸太郎の『ジャイロスコープ』の中にあった。

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「もっと大変な人がいるから、なんて思ったらダメだよ。そんなこと言ったら、どんな人だって『海外で飢餓で苦しむ人に比べたら、まだまだ』なんてなっちゃうんだから」

 【中略】

「でも、あれね、気をつけなくちゃいけないのは、『わたしが一番大変』って思っちゃうことね。『わたしだけが大変』とか」 (「彗星さんたち」P.209)

 

この作品では『千番目くらいに大変(って思っておけば)でいいんじゃない?』と書いてあって、読んだ当時「なるほど!」と感じた。今でも強く記憶に残っている。

 

エッセイは筆者の考えがモロに出る書物だと思うけれど、小説なんかのフィクション作品だって作者の考え方が滲み出てしまうものだ、と私は思う。

 

自分とは違う環境にいる人の考え方に触れることは、視野を広げるチャンスだ。視野が広がれば自分の抱えている悩みの対処法が見付かったり、悩みが「何でもないことだった!」なんて結論になることだってあるかもしれない。

 

自分と違う考えに出会うことは、自分と異なる環境や価値観で過ごす人と関わることでも可能だけれど、そんなに意気込まなくてもたったの500円、本を読んでみることでも可能だ。私は漫画でも良いと思う。漫画だって作者の考え方が基盤となっているはずだから。

 

雨宮まみさんはこんな風に締めくくっている。

「生きていくのがつらい」という言葉を聞くと、私は「当然だよね」と思います。食べるために仕事をして、仕事のために身なりに気を使って、礼儀や時間に気を付けて、それを何十年も続けられなきゃ『社会不適合者』と言われる。普通にきつい。「生きるのがつらい」「めんどうくさい」はデフォルト。だからその上でどうしたらそのつらさを軽くできるか、楽しいと思う気持ちを持てる瞬間を増やせるか考えていくしかないのではないでしょうか?(一部改変)

 

日本の年間自殺者数は3万人を超える。これは交通事故で亡くなる人の5倍である、自殺率は米国の2倍で英国の3倍だそうだ。日本の自殺の現実|自殺対策支援センターライフリンク

 

鬱病の人の数も考えると、日本という国で1度も躓かずにハッピーに生きられる人たちがただスーパーマンなだけなんじゃないかとすら感じる。

 

ではスーパーマンじゃない人間はどう生きていけばいいのだろうか?

それを知るために本を読むことが有効なのだ。自分で思いつかないような考え方に触れることが出来る。凝り固まった『~~でなければならない』を溶かしてくれたりもする。

 

100点満点じゃない人生に存在する愛らしさを、私も本の世界だけでなく現実でも見つけていきたい。

 

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ハサミのみ!パンツの裾をDIYしてカットオフ風デニムに

 

黒デニムを持っているのだけど、無地のシャツと合わせた時にちょっとお仕事着っぽさが出てしまうのが気になったので、裾を切りっぱなしにしてカジュアルダウンを狙ってみることにした。

 

元のデニムの裾はこんな感じ。

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至って普通のデザイン。

 

色んなサイトでは、ハサミで希望の丈に切りカッターやカミソリで裾をほつれさせていたのだけど、別にカッターやカミソリを使わなくても、揉んだり切り口を擦り合わせたりするだけでそれっぽく作れる。

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全体像はこんな感じ。

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もう少しほぐれていても良いのかなとは思うのだけど、洗濯機で洗うとさらにほぐれるはずなので、ひとまずコレでいく。足りなかったらまた揉めば良いだけだ。

 

裾が綺麗なパンツよりもグッとカジュアル感が増した。さっそく白シャツに合わせて履きたい。夏になったら去年買ったペタンコサンダルと合わせても可愛いかもしれない。

 

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昔、普通のデニムをダメージジーンズにDIYしたことがあるのだけど、不器用な私はカッターで指を切ってしまった。一応、気を付けていたのに。

 

ダメージジーンズはカッターやカミソリがないと難しいのかなと思うけれど、裾のリメイクは刃物を使わずとも出来る。なので、不器用さんには切り口を擦り合わせたり、揉んだり、ケガの可能性が限りなく低いこの作り方をオススメする。

 

外見コンプレックス克服の取っ掛かりを得るまで

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『嫉妬というのはちょっと手が届きそうなレベルの人にしてしまうものである』と言われる。

 

私の外見コンプレックスの始まりは嫉妬だったと思う。「可愛いね」とチヤホヤされ毎日を楽しそうに生きている女の子が羨ましくて、羨ましさが嫉妬になり、いつしか「可愛くないからダメなんだ」という考え方になっていったと思う。

 

それに気が付いたのは黒人の美しさにハマってからだ。

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画像引用:https://girlschannel.net/topics/1680663/

 

彼女たちの美しさや可愛さには嫉妬なんて起きなかった。

 

雑誌の読者モデルや背の近いアイドルなんかのメイクやファッションを参考にしていた時は外見コンプレックスを刺激されて辛くて辛くて堪らなかったのに。

 

同じような島国顔なのに、彼女たちの顔やスタイルはやっぱり選ばれし者のそれで、届きそうで届かない。なのに世間の評価は段違い、というのがしんどかったのだと思う。

 

黒人の美しさに触れたことは、私の凝り固まっていた美の基準を壊してくれた。透けるような白い肌。華奢な身体。サラサラの髪。これらに当てはまっていなくても彼女たちは美しいと思った。

 

だけど黒人の彼女たちの美しさに憧れはするもののマネをしようとは思わない。それは、肌の色が違うじゃん、骨格が違うじゃん、マネをしたってこうはならないじゃんって思うから。

 

ここで日本人モデルやアイドルに戻るのだけど、じゃあ日本人の彼女たちと私は同じなのだろうか?

確かに似ているのかもしれないけれど、目も鼻も肌もスタイルも、決して同じではない。似て非なるものなのだ。つまりマネをしたところであの人にはなれっこないのだ。

 

魅力的に見えるメイクもファッションもスタイルも髪型も人それぞれ。人の数だけあるはず。 

 

もし黒人の彼女たちが日本で生きていくことになったとして、日本人受けしないからと肌を白くしたり、髪を染めたり、日本で流行っているメイクをしたとすると、すごく勿体ないことだと私は感じるだろう。こんなに魅力的なのに…と。

 

雨宮まみさんのエッセイ『女の子よ銃を取れ 』の中にこんな文章がある。

たとえ好きな相手に受け入れられなくても、世間一般で大多数の男性に支持されにくい魅力であったとしても、自分自身にしか発することのできない魅力を打ち消す方向に向かって欲しくないのです。自分の魅力を軽視しないでほしいのです。(P99)

 

私も同じように思う。

 

未だ完全に克服したわけではないのだけど、外見コンプレックスを今よりもこじらせていた時は「どうすれば受けが良いだろうか」ばかり考えていて「自分の魅力を引き出すにはどうすれば良いか」とはあまり考えてこなかったように思う。

 

私でない誰かが1番輝けるメイクやファッションが私を同じように輝かせてくれるとは限らない。だけど輝けないのは自分のルックスが足りないからだとばかり思って生きてきた。

 

私が輝けるメイクやファッションもきっとどこかにある。こんな簡単なことに気が付くまでに、随分と自分を傷つけて過ごしてきた気がする。

 

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このエッセイを手放せる日がくることを祈っている

 

エッセイやブログは自分と似たような環境の人が綴ったものが好きだ。

同じ悩みを持つことに共感したり、前向きな考え方を学んだり、たくさんの共通項が吐き出す場所のない孤独感を和らげてくれるから。

 

本の断捨離に悩んでいた時に『知識が自分の物になったと思ったら手放しても大丈夫』という言葉を目にした。

これは知識本に限ったことでなくエッセイのような本でも通用する。素敵だなと思った考え方が自分のモノになった時、それはその本から卒業できる時なんじゃないかと思う。

 

最近、2冊のエッセイを読んだ。

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雨宮まみの『女の子よ銃を取れ』とジェーン・スーの『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』の2冊だ。

 

雨宮まみさんもジェーン・スーさんも私の中で『こじらせ女子』として有名で、お二人の本を手に取るということは私もこじらせているということなんだけども、この生き辛さを何とか脱却できないものかとヒントを求めて手を伸ばしてみた。

 

『女』が何かを諦める時、その原因はルックスであることが多いと思う。

好きだと思う洋服を着る自信がない、仕事の面接に自信がない、恋愛に積極的になれないetc...

 

本当は洋服なんて似合わなくても好きな物を着たって構わないのに、面接なんて出来ることを胸を張って主張すれば良いのに、恋愛なんて相性だし挑んでみなきゃ分からないのに、『もっと可愛かったら上手くいったんじゃないか…』と思ってしまうことの何と多いこと。

 

以前、整形アカウントを閲覧していた時に

『私が可愛くなりたいのは、可愛いって言われたいからじゃない。自分を肯定して生きたいから』

と言ったようなつぶやきがあった。

 

メイクをしなければ手抜き、張り切れば気合入れすぎ、太れば女としてどうなの?と言われ、痩せれば女っぽさが足りないと言われる。

女性はどうしたって外見を採点されることから逃れられない。そこに重きを置かれることもある。女性ならばルックスで損(得)をした経験が記憶にあるはず。

だから、整形アカウントのこの言葉を数年前に見た時に「その通りだなあ」と同意すると同時に何とも言えないぐらい虚しい気持ちになった。

 

と言っても、人から受け入れられるように演じて生きていても自己肯定感は得られない。それどころか虚しくなる。

 

じゃあ、どうすれば良いのだろうか?

外からの評価と自己肯定感と自分らしさ。この2冊のエッセイはそれらとどう付き合い乗り越えていったのかが綴られている本なのである。

 

★★★★

2冊を読み比べて、私は雨宮まみさんの『女の子よ銃を取れ』の方が好みだった。

 

最初に手に取ったのはジェーン・スーさんの方のエッセイだったのだけど、私のこじらせレベルが自分の認識以上にレッドゾーンだったのか、ジェーン・スーさんの本を読んだ時「この人自分にめっちゃ自信あるやんけ」と思ってしまった。

 

雨宮まみさんは自身の体験を交えて「こんな考え方もあるんですよ」と寄り添い提案してくれる感じで、ジェーン・スーさんは自身の体験を書きながら「他人がどうこう言ってきても私はこんな人間でーす」と開き直りの居心地の良さを教えてくれる感じがした。

  

最初に述べたように本の内容が自分のモノになった時、その本から卒業できるのだと私は思っている。

 

雨宮まみさんの本から卒業できた時、ジェーン・スーさんの本が「まさにその通りだ」とゲラゲラ読めるようになるのかもしれないなと思う。

 

そしてジェーン・スーさんの本からも卒業できた時には、私の顔が”広瀬すず”でなくても、モデルのようなスタイルでなくても、自分の存在を肯定できる生き方が出来るようになっている気がする。

 

電子書籍はこちら】

♦【女の子よ銃を取れ 雨宮まみ

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